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教師への信頼

 以上述べてきた「忍耐強い信頼」は、教師だけが意識しなければならないものではありません。私の考えでは、教師自身もまた、保護者や教育委員会、あるいは社会一般から、十分に信頼される必要があるのです。20世紀ドイツの教育哲学者、オットー・F・ボルノーは次のようにいっています。「忍耐強く子どもたちを信頼し続けた教師は、しかし何度も子どもたちの失敗に行き当たることになる。その時周囲の人々は、それを教師の力量不足だとすぐに決めつける。しかしそれは、多くの場合間違っているのだ」と。  私たちは、教師の教育の成否を、その習慣の授業の出来、教師と生徒との関係、教室の雰囲気などから判断してしまいがちです。しかし、教育の成功は、ペーパーテストの成績を短い期間で上げることにのみあるのでしょうか?統率のとれた学級をつくることにあるのでしょうか?教育の使命は、むしろ子どもたちの様々な「失敗」を容認し、やり直しの機会をサポートし、そのことによって、より「自由」に、つまり生きたいように生きられるための力能を、長い時間をかけて育むことにあるはずです。月並みですが、私たちは「失敗」から学ぶのです。教育はこの「失敗」を、思う存分に経験できる現場であるべきです。もちろん、教師の力量にあまりに問題が多い場合には、何らかの対処が必要でしょう。しかし、長いスパンで子どもたちの成長と向き合う以上、教師もまた、基本的には長い目でその実践を見守り支えられる必要があるのです。一定の信頼が与えられれば、私たちはその信頼に応えたい、応えうるよう自分を成長させたいと、多くの場合思うものです。それは子どもだけでなく、大人であっても同じことです。  教育は「自由の相互承認」の土台です。そのために、学校は「相互信頼」の空間となる必要がある。だとするなら、教師を取り巻く環境は、短期的な成果ばかりを要求し、ちょっとした失敗をすぐに責め厳しく統制するようなものではなく、できるだけ皆が忍耐強く信頼し合い、そして助け合える、そのような環境であったほうがいい。私はそう思います。

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